◆愛媛県  7山

 

38・1 岩城富士(いわぎふじ) 積善山(せきぜんざん)  370m 越智郡上島町岩城

        <船:尾道港・上島港フェリー、 因島土生港・上島港フェリー

          道路:西瀬戸自動車道路因島北IC・因島南IC・生口島北IC・生口島南IC>

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38・2 伊予の小富士(いよのこふじ)

     小富士(こふじ)         282m 松山市泊町(興居島(ごごしま))

        <船:松山港・興居島フェリー  道路:県道195号 泊小学校>                                          

伊予の小富士(興居島) 愛媛県松山市

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伊予の小富士は愛媛県松山市の興居島にあります。興居島の御手洗海岸には、太平洋戦争中の昭和18年6月13日沈没した「伊予第33潜水艦」の慰霊碑があります。そして、島の人々は、今も沈没で、亡くなった人の供養を続けています。また同島は、幕政時代から、果物の栽培が盛んに行われていました。まず、モモの栽培から始まりました。小林佐七と言う人です。嘉永4年(1853年)、山林5ヘクタールを開き、モモの苗木五百本を植えて、3年後、見事に成功しました。それが、全島に広がるきっかけになりました。明治時代になり、りんごを栽培しはじめましたが、大正3年、災害に見舞われて、衰退してしまいました。その代わりに、ミカンが栽培されるようになりました。対象5,6年ごろから本格的にワセ温州、普通温州がうえられて、今日の、興居島ミカンの素地をつくりました。
また、この島を歌った詩もいくつかあります。
「沖津風あらくふくらん馬いその、うらわのなみの音の高きは」
「ごご島やとまりの浦へよる舟は、たちはかり来る汐をまつらん」
「夕日かげ海にうつりて北浦の、波さへ秋はうすもみぢせり」

(新ふるさとだより140号、伊予史談、より)

 

38・3 冨士山(とみすやま)

     大洲富士(おおずふじ) 如法寺山(ねほうじやま)  320m 大洲市菅田町大竹富士山公園

          <鉄道:予讃線大洲駅  道路:国道56号 大洲市役所>

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38・4 小富士(こふじ) 赤星山(あかほしやま) 1.453m   四国中央市富郷町津根山

          <鉄道:予讃線伊予土居駅・赤星駅  道路:国道11号 土居郵便局・長津小学校>

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38・5 伊予富士(いよふじ) 1.756m 西条市藤之石己・吾川郡いの町中ノ川 

          <鉄道:予讃線伊予西条駅  道路:国道194号 寒風山トンネル>

                                           
伊予富士の名称については、明治27年に高知県から発行された地図に富士山の名称がみえます。現在、本川村史に掲載されている明治43年の地図では、伊豫小富士と載っているようです。その後、現在までに伊豫小富士の(小)が退き、伊豫富士の(豫)が予となり、今の伊予富士の名称となったようです。伊予富士は、本川村の北に位置し、愛媛県西条市と高知県本川村市の県境にある山で、山頂からの眺めは、北に瀬戸内海、西条市等、西に黒森瓶ケ森 、石鎚山、筒上山、手箱山等等。東に寒風山、笹ヶ峰、冠山、平家平、その奥に赤石山系の山々。南に稲村山、西門山等が見える絶好の展望場所です。天候によっては雲海も見え、自然の感動に浸ることができます。

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38・6 三間富士(みまふじ) 泉が森 755m 宇和島市光満・鬼北郡鬼北町大字北川

          <鉄道:予讃線宇和島駅、 予土線務田駅・近永駅

          道路:県道57号 務田駅、 国道320号 須賀川ダム・道の駅広見森の三角ぼうし>

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38・7 三浦富士(みうらふじ) 権現山(津島町) 489m 宇和島市津島町北灘

          <鉄道:予讃線宇和島駅

          道路:県道37号 三浦郵便局・三浦小学校、 国道56号 宮下第一トンネル>                                        

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宇和島市の西部、津島町との境界をなす権現山山地の主稜のうち、最高峰が三浦権現山です。標高489m、天を突く鋭鋒が緩やかに稜線の高度を下げ、海岸線へと落ち込むその姿はどの方向から見てもひときわ目立つ、存在感のある山です。
とくに三浦無月、船隠、天満方面からの眺めは絶景で、三浦富士と呼ばれています。
宇和島藩中興の栄主と言われた五代藩主、伊達村候に仕え重用された家老、桜田玄蕃親翰(ちかもと)(雅号・桜田千本)が、「山あいの海は扇のすかたにてなみに絵かける富士の面影」と歌に詠んだのは、この辺りから眺めた三浦湾を扇の姿に見立て、その波に映る三浦権現山を富士山になぞらえたものでしょう。三浦東・無月にある、桜田千本の歌碑は建立・明和3年(1766年)、市内最古の文学碑で、市指定史跡となっています。
 また、三浦権現山は、古い記録では三浦の嶽とも言われ、宇和海地区の人は嶽山、又は嶽の権現とも呼びます。
 山頂には貞知2年(1346年)、九州の英彦山神社から勧請された「嶽山権現」が祀られています。本地仏は阿弥陀如来、薬師如来、観音の三尊で、古くから山嶽信仰として崇敬されており、明治末期までは山頂で奉納相撲が行われていました。現在は山嶺の三浦、下波、北灘の三地区で輪番制により相撲を奉納しています。
 山頂からの眺めは抜群。眼下には蒋渕半島、その後方に佐田岬半島、西方には宇和島の島々、豊後水道の彼方には九州の山並み、東に目を転ずれば雄大な鬼が城山系まで視界に入ります。山腹の北面と南面は急勾配で、シイ、アラカシ、ウバメガシ、ヤブツバキ、などの常緑樹、イヌビワ、オンツバキ、アカメガシワなどの落葉樹が混じり、自然林を構成しています。下波側の山腹には天然記念物(市指定)のテツリンジュ(バラ科)が自生しています。